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1.インダス文明とヒンドゥーの萌芽 インドを知る場合、多くのインド人の考え方の基盤を作っていったヒンドゥー教についてもおさえておく必要があるでしょう。今回はヒンドゥーの萌芽からはじめていきます。 インドの初代首相であるネルーは、「ヒンドゥー教を定義することは不可能である。」と言いました。またフランスの宗教学者ブーケはその著書の中で、「とりわけインドは、宗教的問題の解決については、考えられるあらゆる型の解答例をそなえている。」と記しています。 このようにヒンドゥー教はインドにおいて5000年の歳月をかけて醸成されてきた、インドの文化、社会制度、風習にはじまり、個々の心情の機微にいたるまでを包み込む、現代まで続く複雑な宗教文化的複合体と総称と呼ぶ方が適切です。 ヒンドゥーという単語は、インダス河を意味するサンスクリット語の「スィンドゥ」をその起源とし、「インダス河の国に住んでいる人々」という意味です。 ヒンドゥー教は一人の開祖によって形成、発達した宗教でなく、キリスト教における「聖書」やイスラム教における「コーラン」などに相当する、唯一絶対の聖典も存在しません。 ヒンドゥー教の醸成の過程は、インダス文明の時代からあった土着信仰にアーリヤ人の宗教であったバラモン教が入り込み、仏教やジャイナ教を加え、その後時代がくだってからはイスラム教が流入し、といったものです。すなわちヒンドゥー教は5000年をこえる期間にわたり、インドに生まれたすべての宗教や文化を吸収、同化しつつ次第に発展し、流れの幅を広げていった大河のようなものです。 基本的にこの大河は、他を排斥することなく吸収、融合し、相互に影響を与え合ってきたもので、この歴史の豊かさこそが、容易には理解しがたい多面性、深みを生み出してきた要因となったのです。 ヒンドゥー教は、ヴィシュヌ神やシヴァ神を最高神として崇めますが、それらと関連する神々や、村の神や家の守り神など同時に複数の神々を崇拝することも普通にみられ、柔軟性、融通性に富んだものです。 大まかに言ってヒンドゥー教の歴史には、1)アーリヤ人の到来、2)仏教の興隆とその影響、3)ヴィシュヌ神、シヴァ神という人格神崇拝の醸成、4)タントラ、バクティなどの易行道の成立という4つの節目がありますが、どれも数百年から千年の単位でで進行したもので、通常の歴史という概念を大きくはみ出した壮大なものです。 この壮大なヒンドゥー教の歴史について、まずひも解いていくことにしましょう。 ヒンドゥー教というと、アーリヤ人の宗教であるバラモン教を基礎として発展したもの、と考えられがちですが、ヒンドゥー教の信仰、習俗の中にはアーリヤ人のインド到来以前のインダス文明の影響が色濃く残っています。 たとえばヒンドゥー教の修行の中心である瞑想と沐浴は、アーリヤ人のものでなく、インダス文明期の宗教にその源をもとめられます。加えて現在でもインドで根強い雄牛への崇拝、性器(リンガ)崇拝、そして宗教的な紋章としての卍も、その原型はインダス文明期にまでさかのぼります。 インダス文明の遺跡であるモエンジョダロやハラッパーにおいて発見された印章の中には、ヒンドゥー教の最高神であるシヴァ神の原型と思われる像が刻まれているものがあります。この印章には、後のヒンドゥー教で一般的になったシヴァ神の象徴としての男性器崇拝もみられます。 インドという国家は、アーリヤ人と先住民族のさまざまに異なる人生観が相互に影響し合い、両文化の合成物となり、次第に統一されていったのです。 そしてヒンドゥー教それ自体は多様性、多面性を持ったものでありましたが、そのヒンドゥー教がその後何世紀にもわたってインドの統一を保つ上での最も重要な要因であったことは間違いありません。 |
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