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5.バラモン教からヒンドゥー教への変容 前回まで仏教やジャイナ教などといった、バラモンを頂点とした階級は問題にせず、ヴェーダの宗教に反抗する動きについて示してきました。 このような仏教やジャイナ教の教学研究に呼応して、バラモン教にも学説を体系化する動きがおきました。今回は、紀元後4-6世紀のグプタ朝の頃までに確立された、さまざまな学派の動きから紹介します。 仏教の開祖であるゴータマ・ブッダやジャイナ教の創始者ニガンダ・ナータプッタを含む自由思想家たちは、インド思想内部におけるいわば改革者でした。しかし彼らは既成の権威や価値に異を唱えたために、「非正統派(ナースティカ)」と呼ばれました。これに対しバラモン的価値世界の枠内で思想を展開した者達は、「正統派(アースティカ)」と呼ばれています。彼らは、ヴェーダ聖典の権威性を認めたがゆえに正統派と見なされたのです。 ただしインドにおいては、いかなる哲学説・宗教説にもそれなりの存在理由を認めようとする傾向が強く、立場を異にする説についても、決して完全には排除することはしません。この点は、西洋における「正統」や「異端」という意味とは違います。 インドの宗教・哲学は、仏教やジャイナ教などの非正統派を含め、輪廻を際限なく繰り返しているという前提に立ち、そうした苦しみの生存形態から離れ、静穏な状態を得ることを最終目的にしています。そしてこの輪廻的生存から離脱することを解脱(げだつ)と言い、どのようにすれば解脱ができるかがインドに興った宗教・哲学思想の究極のテーマです。 この束縛からの解放を究めようとした思想は、学派や立場を超えて相互に影響し合い、ヒンドゥー教の宗教思想や神学の中に引き継がれ、その体系化に大きく寄与することになっていきました。 こうした動きは紀元前からありましたが、紀元5-6世紀のグプタ朝の頃までの間に徐々に学派として形作られていったのでした。 それらのうち「六派哲学」と呼ばれる学説が重要なものでした。 その6派は、ヴェーダ聖典の研究をあまり重視しなかったサーンキヤ、ヨーガ学派、ヴェーダの解釈を重視したミーマーンサー、ヴェーダーンタ学派、そしてヴァイシェーシカ、ニヤーヤ学派でした。このうちミーマーンサー派とヴェーダーンタ派が、ヴェーダを基礎に体系を築いた文字通りの正統派で、バラモン哲学の中核をなし、ヒンドゥー教の思想的な基盤を作ったといわれています。この学派では、ヴェーダは聖仙(リシ)が神秘的霊感によって感得したと啓示され、神が創ったわけでも、書いたものでもないとしました。創られたものでない以上、滅びることもなく、始めも終わりもない永遠の存在だとしました。そしてヴェーダに基づいて祭式行為を行えば、行なった者の魂に目に見えない潜在的な効力が賦与され、原則的に今生の直後、すなわち死の後に果報が結ぶとしています。 新興勢力の仏教、ジャイナ教の興隆はバラモン教に影を落としました。しかしバラモン教は、ヒンドゥー教へと変容することで生き残りました。 この変容は大乗仏教の影響として、@土着の神々の取り込み、A身近な人格神としての神々への信仰の発生があります。 これまでヴェーダの神々の中に取り入れられなかった土着神が神として認められることは、民衆、特に先住民系の人々には歓迎すべきことでした。これを見たバラモン教徒は、土着神を積極的にヴェーダの神の中に取り込むようになっていきました。こうして、土着神のみならずその信仰形態までもバラモン教の中に取り込まれていくことになりました。 また、仏教の初期段階では認められなかった仏像の制作が大乗になって認められるようになり、この影響でバラモン教でも多くの神像が制作されるようになりました。その結果超人的な存在であったヴェーダの神々がより身近なものになっていきました。 このように、土着神の信仰、仏教の影響、反仏教対策などの結果として、バラモン教はより民衆に近い土俗的な宗教、ヒンドゥー教へと変容していく事になりました。 |
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